FacebookTwitterLine
緑区ホームページ

緑区の「へぇ〜」

エピソード編

自然、歴史、まち、そして人…。「知る人ぞ知る」緑区の意外な魅力をいくつか紹介するね。思わず「へえ〜」とうなってしまう逸話や言い伝えなどがまだまだたくさんあるよ。いろいろな「へえ〜」を見つけて、あなたも緑区マニアをめざしてね。

橋本駅と新幹線の意外なつながり

新幹線橋本駅は、JR横浜線・相模線、京王相模原線が乗り入れ、県北部における主要な玄関口となっています。実は、この橋本駅が東海道新幹線の開通に一役買っていたのかも。時は大正時代まで遡ります。当時の国鉄で採用されていたレール幅より、輸送力やスピードに有利な幅の広いレール幅を望む動きが活発になり、橋本駅から町田駅(当時は原町田駅)の間で、日本では初めてとなる広いレール幅での実験運転が行われました。
その後、紆余曲折はありましたが、実験が行われた広いレール幅こそが、現在、東海道新幹線で採用されているものなのです。

俵万智さんの歌碑が橋本に

俵万智歌碑当時、橋本高校の先生で著書「サラダ記念日」がベストセラーとなったことで知られる俵万智さん。この俵万智さんの歌碑が橋本にあるのをご存知でしょうか?この歌碑が建てられたのは平成16年。橋本駅北口から西方向、商店街の一画にあります。造形作家・内藤友博さんによるモニュメントに相模原市にまつわる伝説のひとつ「照手(てるて)姫」を詠んだ俵万智さんの作品が刻まれており、行き交う人々の心に美しい余韻を残します。

緑区に伝わる照手姫と三姫伝説

照手姫像緑区には、様々なお姫様の伝説が残されています。そのうちのひとつ、小栗判官との悲恋で知られる照手姫伝説については各地で諸説ありますが、相模湖地区にある美女谷は照手姫の出生地とされ、七つ淵で姫は化粧をしてさらに美しくなったと伝えられています。
他にも、南北朝時代に鎌倉から逃れる際、現在の津久井地区の青山で身重の体と病をいやし、藤野地区から上野原市秋山無生野まで逃れ、そこで息絶えたとされる「雛鶴姫」。
武田氏滅亡の際、国を追われ津久井地区の青根にある長者舎に滞在するもついには追っ手に囲まれ、神之川に身を投じたと伝えられる「折花姫」。
愛する若者から贈られた大切な櫛を川に落としてしまい、その若者が病で亡くなったことを知りとても悲しみ、櫛と若者の後を追うように川に身を投じたことから串川の由来となったと言われる「櫛川姫」といった姫君たちの悲しい伝説が伝えられています。

gotop

 先人たちの暮らしを支えたヤツボとは?

ヤツボ大島から田名地区にかけて、段丘崖から湧き出る水を池状に溜め、生活用水として利用していたところを地元では「ヤツボ」と呼んでいます。特に大島地区ではこのような溜まりが八つあり、壺状の形をしていることから「八壺」と呼ぶようになったと言われています。しかし、実際は大島から田名地区にかけての段丘崖沿いには、この倍以上の「ヤツボ」と呼ばれる湧水があることが分かっています。
その中には弁天様が祭られているヤツボもあり、洗濯や養蚕の器具などを洗ったほか神事に使われるなど、生活に欠かせない大変重要な水であったことを物語っています。

関東大震災の夜でも電灯が煌々と灯る村があった!

電灯大正12年、関東地方南部など広い範囲に甚大な被害をもたらした関東大震災。
しかし、震災のあった夜、真っ暗な近隣の村々に対して、電灯が煌々と灯る村がありました。その村は湘南村といい、現在の城山地区の小倉、葉山島にあたります。約200戸の小規模な村でしたが、当時でも珍しい村営による水力発電所があり、賢固に造られていたため、震災による破壊を免れたとされています。震災の混乱のさなか、不安に怯える人々の心をも照らしていたのかもしれません。

長さ4km以上のトンネルが緑区にあるって本当?

トンネル相模川や道志川などの清流、津久井湖、相模湖などの湖が水をたたえる、自然豊かな水源地である緑区。
明治20年、日本で最初の近代水道である横浜水道が完成し、現在の津久井地区から取水し、延々と導水管を使い横浜市野毛山の浄水場まで水を導いていました。かつては船乗りの間で「横浜の水は赤道を越えても腐らない」と称賛されていたとも伝えられています。そして圧巻なのは、大正3年に完成した城山隧道。今も津久井地区の青山に姿を残す導水管用のこのトンネル、なんと城山ダムに向かって長さが4358mもあり、完成当時は国鉄(現在はJR)中央本線笹子トンネルの4647mに次ぐ、日本で2番目に長いトンネルだったということです。

gotop

宮中にも献上された鼻曲がり鮎

鮎津久井地区を流れる道志川。鮎釣りの名所として知られているとともに、実はちょっと変わった鮎がいることでも有名です。道志川は急流であることから、遡上する鮎は眼の上部分が発達して隆起し、肉が縮まって美味とされ、「鼻曲がり鮎」として珍重されました。この鮎は「御用鮎(ごようあゆ)」とも呼ばれ、かつて将軍などに献上されたといわれています。毎年7月に、鮎の碑近くで地元の有志による鮎祭りが開催されます。

柳田國男とねぎ・かぼちゃ

ねぎ・かぼちゃ大正7年、民俗学者の柳田國男たちによる日本最初の村落調査が行われたとされるのが、当時の内郷村、現在の相模湖地区の内郷周辺です。その際、宿舎として使われたのが正覚寺。滞在期間中、ねぎとかぼちゃの料理が多かったのか、柳田國男が「山寺や葱(ねぎ)と南瓜(かぼちゃ)の十日間」という句を残しました。
今では、境内にたくさんの俳人の句を刻んだ石碑があちこちに立ち並んでいます。その数は200余りとも。ちなみに正覚寺は俳句寺とも呼ばれています。

鍋も壊れる滝とは?

滝緑区の滝といえばエビラ沢の滝や早戸大滝などがよく知られていますが、ユニークな名前で目を引くのが、この「鍋こわしの滝」です。八王子市と藤野地区の間にある和田峠まで約500mの場所にあり、高さ12m、幅約1・5mの滝です。武田軍と北条軍の戦いで陣馬山が武田本陣となったとき、給仕の鍋をこの滝に落として壊したため名が付いたと伝えられています。この上流に水汲処(みずくんど)という沢があり、武田軍の飲料水となったと言われています。

gotop

雪とともに白馬が舞い降りる?〜馬に見える雪形〜

丹沢山山の斜面に積もった雪と樹木や岩肌が織りなす模様を雪形と言います。古くから暦として利用されており、その多くは里山から積雪の様子が確認できる新潟県や長野県で伝わっています。
緑区でもこの雪形が見られることをご存知でしょうか。雪が降り積もると、丹沢山塊の山肌に「白い馬」の姿が出現し、地域では冬の風物詩となっています。その姿は、まるで白馬が山を駆け巡っているようにも見えます。

水害から村を救った姥石伝説

姥石城山地区の葉山島にある藤木川支流。昔は年に何度となく集中豪雨により水害にあったそうです。そこで、山姥がこの水害を何とかしようと、山の頂上にあった大きな石を川底に落として流れを弱めれば、水害が治まるのではないか考えました。そして山姥がこの大きな石を押すと、見事に川底へと転げ落ち、水の勢いを弱めることができました。それ以降は水害がなくなり、日照りが続いた時はこの石に水を掛けて雨乞いをしたといいます。現在でも、直径1m70㎝、高さ2mの丸い石が沢の中央に鎮座しており、この石にあるこぶし大の穴は、その時の親指の跡といわれています。

「はらぺこあおむし」のもりひさしさんの歌碑が身近なところに

はらぺこあおむし表紙に大きく描かれた、かわいいあおむしの絵が印象的な絵本「はらぺこあおむし」の翻訳など、絵本作家として有名な、もりひさしさんの歌碑が藤野小学校にあります。藤野地区のご出身で、藤野小学校(旧日連小学校)が母校とのこと。「ふるさとの 蒼穹にうたう子は だあれ 大地にはなを描く子は だあれ 森比左志」と刻まれており、今も子どもたちの健やかな育ちを温かく見守っています。

gotop

幻の鉄道

幻の鉄道大正末期から昭和の初期にかけ、多摩市一の宮から八王子市の鑓水付近、橋本・相原付近を経由し、現在の城山地区の久保沢に通じる鉄道を敷設する計画がありました。
これは鑓水周辺の商人などが中心となって計画されたもので、鑓水と城山総合事務所近くの駅予定地で起工式が行われるなど、開通に向け工事が開始されました。ところが、昭和恐慌による不況などの影響で、ついに開通はかないませんでした。この鉄道は「南多摩」と「津久井」の文字を取り、「南津(なんしん)電気鉄道」と言います。

東京オリンピックの感動を今に伝える学校のポール?

オリンピック
昭和39年に開催された東京オリンピックで、相模湖はカヌー競技の会場となったことは知られていますが、その会場で使用されたポールが当時の津久井郡内の小・中学校に配られ、現在でも校旗などを掲揚するポールとして使われているものもあるといいます。
この緑区から将来のメダリストが一人でも多く誕生することを願わずにはいられません。


地域のみなさんの研究発表編

【お・た・く(おもしろ・たのしく・区を知ろう)大賞2014】応募作品一覧

「お・た・く(おもしろ・たのしく・区を知ろう)大賞2013」版はこちら
(PDF形式 3M)

「お・た・く(おもしろ・たのしく・区を知ろう)大賞2012」版はこちら
(PDF形式 4.8M)

「お・た・く大賞(平成26年度)」応募要項はこちら