緑区の「へぇ〜」
エピソード編
自然、歴史、まち、そして人…。「知る人ぞ知る」緑区の意外な魅力をいくつか紹介するね。思わず「へえ〜」とうなってしまう逸話や言い伝えなどがまだまだたくさんあるよ。いろいろな「へえ〜」を見つけて、あなたも緑区マニアをめざしてね。
マニアをめざしてね。
雪とともに白馬が舞い降りる?〜馬に見える雪形〜
山の斜面に積もった雪と樹木や岩肌が織りなす模様を雪形と言います。古くから暦として利用されており、その多くは里山から積雪の様子が確認できる新潟県や長野県で伝わっています。
緑区でもこの雪形が見られることをご存知でしょうか。雪が降り積もると、丹沢山塊の山肌に「白い馬」の姿が出現し、地域では冬の風物詩となっています。その姿は、まるで白馬が山を駆け巡っているようにも見えます。
水害から村を救った姥石伝説
城山地区の葉山島にある藤木川支流。昔は年に何度となく集中豪雨により水害にあったそうです。そこで、山姥がこの水害を何とかしようと、山の頂上にあった大きな石を川底に落として流れを弱めれば、水害が治まるのではないか考えました。そして山姥がこの大きな石を押すと、見事に川底へと転げ落ち、水の勢いを弱めることができました。それ以降は水害がなくなり、日照りが続いた時はこの石に水を掛けて雨乞いをしたといいます。現在でも、直径1m70㎝、高さ2mの丸い石が沢の中央に鎮座しており、この石にあるこぶし大の穴は、その時の親指の跡といわれています。
「はらぺこあおむし」のもりひさしさんの歌碑が身近なところに
表紙に大きく描かれた、かわいいあおむしの絵が印象的な絵本「はらぺこあおむし」の翻訳など、絵本作家として有名な、もりひさしさんの歌碑が藤野小学校にあります。藤野地区のご出身で、藤野小学校(旧日連小学校)が母校とのこと。「ふるさとの 蒼穹にうたう子は だあれ 大地にはなを描く子は だあれ 森比左志」と刻まれており、今も子どもたちの健やかな育ちを温かく見守っています。
幻の鉄道
大正末期から昭和の初期にかけ、多摩市一の宮から八王子市の鑓水付近、橋本・相原付近を経由し、現在の城山地区の久保沢に通じる鉄道を敷設する計画がありました。
これは鑓水周辺の商人などが中心となって計画されたもので、鑓水と城山総合事務所近くの駅予定地で起工式が行われるなど、開通に向け工事が開始されました。ところが、昭和恐慌による不況などの影響で、ついに開通はかないませんでした。この鉄道は「南多摩」と「津久井」の文字を取り、「南津(なんしん)電気鉄道」と言います。
東京オリンピックの感動を今に伝える学校のポール?
昭和39年に開催された東京オリンピックで、相模湖はカヌー競技の会場となったことは知られていますが、その会場で使用されたポールが当時の津久井郡内の小・中学校に配られ、現在でも校旗などを掲揚するポールとして使われているものもあるといいます。
この緑区から将来のメダリストが一人でも多く誕生することを願わずにはいられません。